月花影装メルロード 大怪人の卵


    1

 ──果たして。
 ふと、影崎月彦(かげざきつきひこ)は思う。
 いつも通り、「定刻定時に登校を果たすべく、あくびを噛み殺しながら通学路を歩いていた自分目掛けて隕石が降って来た」というのは、正統な遅刻の理由になるだろうか。
 あの頭の硬い担任に通じるとは、残念ながら思えなかった。一笑に付され、内申書に遅刻「1」と記されるに違いない。
 例えば、だ。自分が約束の相手にそんな言い訳をまくし立てられて納得するだろうか。考えるまでも無く、答えは「NO」だ。納得するわけが無い、「くだらない言い訳してんじゃねーよ」と悪態をつくところだ。
 だから月彦は、今後どれだけ荒唐無稽な理由で遅刻されても、一度は許そう、と寛容な心を持つことを決意した。きっと宇宙からの飛来物のみならず、吸血鬼や狼男、透明人間に絡まれて遅刻してしまうこともあるのだ。
 その人間の立場に立たされて、初めて相手の気持ちが分かる。日頃から大人たちから口煩く言われていたが、確かにその通りだ。
 悔い改めようと思う。だから──。
「……何とかならねーのか、これ……」
 目を開けている感覚はある。が、周囲には何も見えない。しかし完全な暗闇かと言えば、見慣れた黒い学生服は浮かび上がって見える、という不可思議な状態だ。
『そろそろ、状況確認は済んだかしら?』
 暗黒に波紋を刻んで、女の声が耳元を撫ぜた。これも先ほどから続く奇怪な現象だ。時折思い出したかのように話しかけて来るのだが、月彦は一切無視していた。何故か、彼の直感が触れてはならないと、強く警告しているからだ。
 年上の大人びた、余裕のある声。しかし、どこか稚気を帯び、悪戯めいた印象も滲ませている。月彦の慌てぶりを楽しむかのようなその声音が、神経を逆撫でにする。
『影崎月彦君? 認めたくないのは分かるけれど、いつまでもずっと現実逃避してても仕方ないでしょ?』
 声が言うには、これは現実なのだ、そうだ。天空が輝いたと思った瞬間、隕石とおぼしき相当な質量が、一瞬で自分の間近に迫ったことも。あれが現実だと言うならば、自分は間違いなく──。
「……なぁ、俺は死んだのか?」
 根負けだった。月彦は胸に蟠っていた結論を、声へと投げかけた。
 この状況を説明するには、一番妥当な線だった。ここはいわゆる死後の世界かそれに付随する場所で、自分は今肉体から離れた魂だけの状態なのだ。そして、この女は死出の旅への水先案内人──死神か天使といったところだろう。
『その通り。いやー、それはもう酷い有様だったわー』
「……はぁ」
 余りにも呆気ない死亡通告に、月彦は小さく溜息を吐いた。
『……意外と冷静ね』
「……いや、パニックは起こしてるんだが。実感がわかねー、ってのはこういうのを言うんだろうな……」
 つまらなそうに呟く声に、月彦は力無い苦笑を返した。
 苦節と言うには、あまりに平坦で短い一七年だった。特に思い遺すことも無い人生、と言うのも寂しいものだ。自分の死を両親や妹は悲しんでくれるだろうか。クラスメイトや友人たちの反応が気になるところだ。
 声が伝えるように、隕石に潰された自分の体は酷い惨状だろう。身元が特定されれば、「世界一不幸な少年」だとメディアを席巻するかもしれない。当の本人は死んでしまっているのだが。
『遺体の様子を見たいかしら? ちょっと公序良俗に反するから、モザイク修正がかかるけれど』
「俺の死体は卑猥な何かか」
『例えるなら、牛と豚の合挽き肉を、パン粉と卵で繋いで、こねて丸めた感じね』
「ハンバーグじゃねぇか!」
 悲嘆に暮れる死者を慰めるには、あまりに無神経な冗談である。死んでいるのも忘れて、月彦が無人の闇へとツッコミを入れる。
「俺が死者なら、あんたは一体何なんだよ? 天使にしちゃ随分口が悪いな」
『そうねー。私の美貌を讃えるのに、この惑星(ほし)でいう「天使」という形容単語は確かに相応しいわ』
「いや、何も見えねぇし」
『まぁ私のことは、今後「天使」と呼んでもいいし、銀河怪人戦団首領ガザリー教授、略してガザリーちゃんと呼んでもいいわ』
「…………ぎ? ……は?」
 突然並べ立てられた女の名乗りに、月彦は目を白黒させて声を詰まらせた。
「ぎんが……何?」
『銀河、怪人戦団、首領。この地域の言語に当てはめればこういう表現になるのよね』
 ガザリーと名乗る女は、単語を食べ易く切って取り分けてくれたようだが、月彦は全く彼女の言葉を全く飲み込めなかった。舌の上に転がしても、あやふやな後味しか残らない。
「……意味がわかんねぇ」
『あら、聴いたことないかしら? この惑星(ほし)でも結構有名だと思ってたんだけれど』
「はぁ? そんなもん聴いたこと……」
 意外そうなガザリーの声を鼻で笑おうとした月彦の頭の中で、カチンと音が鳴った。無意識のうちに行った脳内検索の結果、該当する単語が検出されたのだ。
「怪人戦団って……もしかして、ガキの頃やってた『ガルディオン』の……?」
『そうそう なんだ、やっぱり覚えてるじゃない』
 訝しげに呟く月彦に、声がはしゃぐように笑った。
「銀河の平和の為に戦ったメタルヒーロー『ガルディオン』の、敵対組織の『怪人戦団』?」
『素晴らしいわ、月彦』
 すらすらと記憶を出力する月彦に、彼女はどこか満足げですらある。
「で? あんたはその『怪人戦団』の首領(ボス)だと?」
 対照的に、月彦の声はみるみる冷え冷えていく。
『その通りよ!』
「んな訳あるかぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
 闇の向こうでガザリーが胸を張ったと直感した瞬間、月彦の怒号が爆発した。
「なに? いきなり大声で」
「ガザリーとか言ったな。人をおちょくりやがって、ふざけんじゃねぇ」
 漆黒の宙空を睨みつけながら、月彦は怒りによって、頭の中に立ちこめていた靄が薄くなり始めたのを感じた。悪夢から覚醒していくような感覚だ。
「『ガルティオン』って、俺がガキの頃流行ったヒーロー物の特撮番組じゃねーか! それに出てくる、悪の組織の『怪人戦団』!? しかも、首領(ボス)!? なめてんのか!?」
 一気にまくし立てるうちに、幼い頃の記憶が急速に脳裏に浮上してくる。
 月彦の言う『ガルディオン』とは、彼が小学校に入学したと同時にテレビ放映が開始された、『破邪銀装ガルディオン』のことだった。
 銀河の平和維持機構「銀河連邦」に所属する戦士ガルディオンが、宇宙狭しと活躍する勧善懲悪が基本ストーリーの子ども向け番組である。
 ただ、本編にはふんだんに最新鋭の画像エフェクトがアクションシーンで使用され、精巧にして精緻なヒーロースーツや怪人の着ぐるみ、舞台セットが大きな話題を呼んだ。特撮とは思えない破格のクオリティが、大人の好事家にも絶賛されたと言う。無論、子どもたちの中でも大人気で、放課後には日本各地で、ガルディオンごっこが執り行われたはずだ。
 何を隠そう、月彦もがっつりハマッた元お子様の一人である。しかし、ただ一つ彼が普通の子ども達と違ったところは、ヒーローであるところの『ガルディオン』にではなく、『怪人』に憧れた点だろう。
 毎週登場する個性的な怪人たちに、月彦は何故かがっしりと心を掴まれた。週替わりに登場する、多種多様な外見と能力を持つ怪人たちに目を奪われ続けた。彼からしてみれば、ヒーローは愛すべき怪人を、毎回足蹴にして爆散させる、憎むべき敵である。
 当然、夕方のヒーローごっこでも、月彦は喜んで自ら怪人役を請け負った。ただ、子どもながらに大人げない怪人on月彦は、度々ガルディオン役の友だちを泣かせてものだったが──。
 そんな、架空の組織の、架空の役職を、女は名乗ったのだ。冗談にしても出来が悪過ぎる。
「いい大人が、子どもみたいにごっこ遊びか? 寒過ぎるぞ」
『酷い言い草ねー』
「遊びに付き合う気分じゃねーって言ってんだ。連れてくなら、天国なり地獄なりさっさと突き落としてもらおうか」
 女の悪ふざけのせいで、不可思議だった空間が急に作り物めいて見えた。
「そもそも何で『怪人戦団』の首領(ボス)なんだよ?」
「何か不満かしら?」
「『怪人戦団』の首領(ボス)は大怪人グランドルフだろーが。ガザリーなんて名前、聞いたこともねーぞ」
 多くの特撮番組のラスボスがそうであるように、『破邪銀装ガルディオン』の最終戦の相手も、男性型の怪人であった。名称は「大怪人グランドルフ」という。
 二足歩行の人型の怪人で、筋骨隆々とした巨体に、漆黒の表皮、そして鬼の頭蓋を模った白い骨面と、異様な凄みを放つ怪人だった。その実力は「大怪人」の名に相応しく、他の怪人を遥かに凌駕していた。単純な膂力やスピードでは、ガルディオンですら太刀打ちできず、如何な攻撃も堅牢な黒皮に傷一つ付けることが出来なかったのだ。
 数ある怪人の中で、月彦が最も憧れた怪人が、大怪人であった。
「ふーむ、なるほど。一番お気に入りの怪人を、私がないがしろにしたのが気に食わないと」
「……そんな事は言ってないだろ」
「買って貰ったグランドルフ人形も、まだ家に置いてあるものね」
「…………?」
 どこか笑みを含んだ女の声に、月彦は眉を顰める。確かに、当時親にねだって買ってもらった人形は、まだ部屋のどこかに転がっているはずだ。
 だがそれは、何となく捨てる機会を失った、というだけで、彼が特に人形に執着を持っていたからでは無かった。月彦も今年でお年頃の一七歳である。子ども向けの特撮番組などとうの昔に卒業した身だ。日曜朝七時半から、現在何が放送されているのかも知らない。
 この女が、何か超常めいた存在であるのは確かなようだから、自分の過去や嗜好を知っているのは、もう疑問に思わない事にする。
 問題なのは、何故そこまで『破邪銀装ガルディオン』の話を引っ張るのか、だ。
『そろそろ本題に入りましょうか、月彦』
 女の声が耳を打つ。
『貴方は選ばれたわ』
「…………何に?」
『勿論──大怪人グランドルフの後継者に』
 ──闇に溶け込んでいた闇色の何かが、月彦の全身を絡め取った。肌を無数の粒子が這う感覚。悲鳴すら飲み込んで、月彦は身体を硬直させた。
 時間にしてみれば、おそらく一秒にも満たない劇的かつ微細な変化だった。痛みも痒みも、違和感の欠片も無い。
 月彦は思わず、自分の体を見下ろし──。
「はぁ……!?」
 真っ黒に染まった野太い自分の指に驚愕した。指だけではない。掌も腕も、見慣れた高校生男子のそれとは、全くかけ離れていた。逞しく、力強く、黒皮の下に筋肉の脈動を滾らせて、凄まじい人智を超えた膂力を秘めている事が、何故か月彦には理解出来る。
 胸板も信じられない程、大きく厚く膨れ上がっていた。身体の所々に突き出している白い棘は、身体に収まり切らなかった骨格だろうか。何にしろ、月彦の身体が変貌を遂げたのは確かで、そしてこの身体は人間に近い体型でありながら、断じて人間の体格では在り得なかった。
 おそるおそる、月彦は指で頬を撫でた。指先は柔らかい肌に触れること無く、直接頬骨の硬さを味わった。
「……嘘だろ」
 月彦は自分が、何にされたのかをようやく理解した。
『おめでとう、月彦。相性もばっちりみたいね』
 ガザリーが、意味の分からない祝福を贈って来るが、まともに頭に入らない。
「どういうことだ!? 説明しろ!」
『説明も何も、見れば分かったでしょ?』
「理由だよ! 何で、何で俺がグランドルフになってんだ!?」
 ガザリーの予告と、自分の外見を照らし合わせれば、答えは瞭然だった。銀河を混沌に叩き落した、諸悪の根源。踏み敷く星々に屍山血河を築いた凶悪極まる狂気の大怪人の姿に、今彼は染まっているのだ。
『だから、貴方は才能を認められて、六十五億人の地球人類の中から選ばれたの』
 教え諭すような緩やかな声で、ガザリーが答える。
「何の才能だよ!?」
『もち、怪人の』
「どんな才能だ!? そんな才能願い下げだ!」
『そう言われてもねー』
 対して月彦は、半狂乱であった。確かに怪人には憧れていたが、何も本当に怪人になりたかった訳ではない。
『いや、一応怪人工学的に説明してあげるとね、例えば月彦は身体や動体視力みたいな運動能力は平均点なんだけど、空間認識及び記憶能力が特に優れてるの。これって、怪人には凄く重要な要素なんだけど、分かる?』
「わかんねぇよ!」
『でしょ? 専門用語を使えば理論的に説明出来るんだけど、何も知らない月彦に全てを理解させるのは難しいわ。だから、分かり易いフィーリングで言うと』
 にやり、とガザリーが微笑むのを肌で感じる。
『グランドルフと貴方の持つ生体反応が、ばっちり噛み合って、ベストカップルな訳』
 結局意味が分からない。何の説明にもなっていないではないか。
「俺は死んだんだよな?」
『ん、ああ、そう言えばそんな設定だったわね』
「設定ってなんだよ!?」
『だからね、貴方はハンバーグから復活を遂げたのよ。天才怪人工学者ガザリーちゃんの改造手術で、グランドルフとして、ね』
 死んだはずなのに、頭痛がするのは何故だろうか、と月彦は頭を抑えて唸った。ガザリーの説明からすると、いつの間にか復活しているらしいので、もう自分の生死すら良く分からない。
『じゃ、そろそろ行きましょうか』
「……どこに?」
『怪人がやることは、決まってるでしょ?』
 ふて腐れた月彦に、ガザリーが明るく宣言する。
『世界征服』
 ──瞬間、暗黒の世界が白転した。

    2

 そういえば、自分が登校途中であったことを、月彦は遠い過去のことのように思い出した。
 寝惚け眼を擦りながら、暢気に欠伸をしていた頃が懐かしい。何気ない、ありふれているはずだった日常がひどく愛しい。
「ガザリー、一つ尋ねたいんだが」
「──何かしら」
 向こうも馴れ馴れしく月彦を呼び捨てにするのだから、月彦も遠慮する気遣いをドブに捨てることにした。むしろ、もう少し月彦に対して優しさめいた感情を見せて貰いたいところだった。
 月彦は、無事に暗黒空間から脱出を果たしていた。死後の世界から解放されたのは確からしい。覚醒した彼の目の前には、見慣れた現実の風景が、いささか形を変えて広がっていた。
 月彦が目覚めた場所は、高校の教室のど真ん中であった。同設計の教室は数あれど、不思議と自分の通う教室というのは、独特の空気を帯びる。ここは見紛う事無き、黒陽高校新校舎三階、二年六組の教室である。
 ふと目を移すと、彼の所属する二年六組の表札が、真っ二つに千切れ、壁にぶら下っていた。タイル張りの床は中心が大きく陥没し、整然と並んでいたはずの机や椅子は、四方の壁際に吹き飛んでしまっている。グラウンド側の窓壁は全壊し、吹き込んでくる風がまだ幾分冬の残り香を漂わせていた。
 文字通り、「学級崩壊」であった。完膚無きまでに、高校生活の拠点が破壊し尽くされている。ただ、唯一にして最大の幸運は、学級を構成する生徒たちが、月彦を除いてこの場に一人しかいないことだろう。万が一、動かない彼らの姿を見た日には、これだけ平静でいられる訳が無い。
「……た、助けて」
 胸元から、か細い女の子の声が聞こえる。
 月彦がちらりと下に目をやると、制服を着た女子が、丸太のような黒い腕に腰を支えられた状態で、涙で顔をくしゃくしゃにしてぐったりとしていた。一瞬、月彦と目が合うが「ひっ」と悲鳴を上げて眼を逸らされた。
 月彦と同じクラスの女子、南さんである。明るい笑顔が似合う、爽やかな可愛らしい女の子であったが、今やその面影は無くすっかり憔悴してしまっている。月彦も普段から何気ない会話をしているだけに、彼女のその反応はショックだったが、無理もないと自分を納得させる。
 何しろ、今の月彦の外見は、大怪人グランドルフそのままなのである。異形の風貌も勿論だが、天井にまで及ぶ巨体はそれだけで十分な脅威だ。そんな怪物に捕獲されては、生きた心地もしないだろう。
 南さんの反応を見る限り、この惨状を引き起こしたのが、グランドルフであることは容易に察せられた。しかし──。
「どういうことだ、何で俺が学校にいる?」
「だって、月彦、登校中だったでしょ? 遅刻させちゃ気の毒だと思って」
 こんな状況に立たされるなら遅刻の方が百倍マシである。ふつふつと腸が程よく煮え滾るのを感じながら、
「で? この有様は一体何だってんだ」
「だから、世界征服活動の一環よ、当然でしょ?」
 滲み出る月彦の怒気に全く悪びれもせず、ガザリーが答える。
「貴方がぐずついて中々起きないもんだからさ、寝ている間身体は私が操作しておいてあげたわ」
 つまり、月彦の精神が生死の境を踏み外している間に、肉体はしっかり怪人として活動していたらしい。
「……てめぇ……!」
『犯人に告ぐーーーーーーーーー!!!』
 月彦が声を荒げた瞬間、グラウンドから拡声された大音声が響き渡った。
『貴様は完全に、我々警察に包囲されている! 逃げ場はないぞ! 大人しく人質を解放し、投降するんだ!』
 頭に突き刺さるような怒声に、月彦は猛烈な眩暈を覚えた。考える間でもなく、犯人とは自分のことで、人質とは南さんのことだ。
 ひとまず、様子を見ようと身体を動かしてみる。一歩踏み出したところで天井から突き出した蛍光灯に頭をぶつけたが、「痛い」どころか電灯カバーの方が根元から吹き飛んだ。歩くだけで破壊を撒き散らすとんでもない身体能力である。
 歩幅も、人間影崎月彦とは比べ物にならない程大きい。視界の触れ幅も随分違う。月彦は頭をぶつけないように、慎重に窓際へ歩み寄った。
 身体をおそるおそる外に乗り出してみる。
 どっと悲鳴交じりの喚声が巻き起こった。音自体の圧力に肌が粟立った。思わずよろめく月彦の腕に、窓から落とされては堪らないと、南さんがしがみつく。
 眼下に広がる校庭には、避難を終えた黒陽高校全校生徒及び職員が、騒然と月彦を見上げていた。視線も何百本束ねると破壊力を生むらしい。月彦はきりきりと胃が軋むのを感じた。
 大怪人の能力というべきか、グランドルフの視力は、鮮明かつ酷薄に、月彦に現状を告げていった。中には彼のクラスメイトであり、一番の被害者でもある二年六組の面々の姿も当然ある。無事な姿を見てほっと息を撫で下ろすものの、見知った顔のどれもが、恐怖と混乱に表情を引き攣らせている。その輪の中に自分の姿が無いことが、非常に口惜しい。
 そんな恐慌状態の生徒や教職員らを背に、校庭に白と黒のツートンカラーの車両が、赤いランプを激しく明滅させながら十数台停車している。「包囲」という表現は伊達ではなく、紺色の機動服に身を包んだ警官達が、長方形のライオットシールドをきっちりと並べ、蟻の子一匹通さない陣形だ。ここからは確認出来ないが、おそらく校庭のみならず黒陽高校の全方位に、警官や機動隊が配備されているのだろう。
 まるで、月彦一人相手に、凶悪なテロリストに相対しているかのような緊張感が漂っている。場の雰囲気に付いていけていないのは、月彦だけだった。
 姿を現したグランドルフの巨影に、現場は俄然色を為した。警官達からしてみれば、半信半疑だった脅威の正体が、白日の下に晒された形だ。それだけではない。上空には報道用らしきヘリコプターと、校外にも無数のメディアらしきカメラが確認出来る。恐らく、黒陽高校は日本中の関心が集中する、ホットスポットになってしまっている。
「どうすんだ、これ……」
 自らで大舞台に登ったのならともかく、この事態に月彦の意志は一欠けらも介在していない。粗筋も台本も無い劇場の真っ只中で怪人になりきれるほど、月彦は役者ではない。そもそも、ガザリーが用意した筋書きに乗っかってやる義理は無いのだ。
 そうだ、と気を取り直す。
 投降すればいいのだ。南さんを解放して、自分の処遇は大人たちに任せるしかない。改造されたこのグランドルフの肉体を、自分はすでに持て余している。ここで抵抗した所で、何の意味もないではないか。
 俺に怪人の才能がある、だと? 反芻したガザリーの台詞を月彦は嘲笑う。そんな曖昧な言葉に騙されるものか。憎むべき相手は、間違いなくガザリーだ。自分が死んだというのも、彼女の差し金に違いない。
 まず、南さんを拘束している腕の力を抜こう。傷つけてしまわないように、せめて、そっと優しく──。
「言っておくけれど」
 高揚していた気分に、ガザリーの声がやけに冷たく響いた。
「貴方は怪人よ。身も、心もね」
「はぁ? 何を言って……」
 忠告めいたガザリーの声を鼻で笑い、思考を実行に移そうとした月彦は硬直した。
 腕が動かない。
「なに……?」
 自由に動かせていた両手足が、鉛のように重く月彦の意志に反発した。開こうとした腕は、がっちりと南さんの細い腰に食い込んだままだ。
「くそ……なんだ!?」
「だからー。言ってるでしょう? 貴方は怪人だもの。まさか、せっかく人質に取ったか弱き女子高生を、無償で解放するわけないわよねぇ」
 思考の先を全て読まれていることに、月彦は呻きながら歯噛みする。考えてみれば、気絶中の身体のコントロールは、全てガザリーが行っていた。月彦の動作の実権は、結局彼女の手の内にあるのだ。
「もし、万が一怪人らしからぬ行為に走ったら、自動セーフティが入るから。そのつもりで、よろしくね?」
「……」
 彼女の言葉通り、南さんの解放を断念すると、全身を覆う緊迫感が消滅した。
「だったら、始めからあんたが全部やればいいじゃねーか! 俺が入ってる意味あんのかよ!?」
「勿論、あるわよー。安心して、月彦。私は何も、いきなり貴方が大怪人として活躍してくれるなんて、思っちゃいないわ。どんな極悪怪人だって、最初は初心者だったのよ?」
 挫折しかけた新入社員を、ベテラン社員が励ますかのような言い草である。怪人の初心者って何だ。初心者も玄人もあるのか。
「貴方はまだまだ「ひよっこ」よ。いや、まだ殻も破ってない胎児かもね。その自動セーフティはいわば矯正装置だから。最初は不自由だろうけど、きっと貴方なら克服出来る。直に呼吸と同じように、自然と怪人らしい振る舞いになれるわ」
「だから、怪人になんざなりたくねぇんだよ!」
「全く。最近の若い子は、そう言ってすぐ投げ出すわね。大丈夫、私を信じなさい。貴方ならどこに出しても恥ずかしくない、立派な怪人になれるわ!」
「人の話聴いてんのかぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
 思わず月彦が吠えると、胸の中で「いやぁぁぁぁぁ」と南さんが悲鳴を上げた。月彦の苛立ちを敏感に感じ取ったようだ。
「おい、この会話って周りに聞こえてんのか?」
「まさか。外部音声オフにしてあるから、その娘には聞こえてないわよ」
「……どうやってオンにするんだ」
「何のつもりかしら?」
 月彦の質問に、やや怪訝そうにガザリーが応じる。
「知ってるだろうが、南さんは俺のクラスメイトだ。日頃世話になってる。あんまり怖がらせたくねー」
「……さっき、私が言ったことを忘れた?」
「これだけは言っとくがな」
 声を荒げるでもなく、月彦は未だ顔すら知らないガザリーに、静かに怒気を叩き付ける。
「俺は、こんな身体改造されても、絶対人は傷つけない。殺すなんざもっての他だ。どんだけ矯正されようが、それだけは譲らねーからな。覚えとけ」
「……ふーん」
 ガザリーの反応は、素っ気ない物だった。暖簾に腕押しか、と月彦が諦めかけた瞬間、ポンっと耳元で電子音が響いた。
「外部音声出力をオンにしたわ。どうぞ、ご自由に。正体は名乗らないことをお勧めするけどね」
 言われるまでも無い。
『あ……あー……』
 マイクテストの要領で、喉を震わせてみる。月彦の地声とは似ても似付かぬ重低音が、グランドルフのマスクから発生した。確か、特撮番組でもこんな声であった。無駄に芸が細かい。
 外部にも流れているというのは事実らしく、南さんが小さく体を震わせた。
 本当に、気の毒なほど脅え切ってしまっている。解放は出来ないが、せめて気休めでも安心させてやりたい。逆効果かもしれないが、声をかけずにはいられなかった。
『み、南、さん』
 おずおずと声をかけると、名前を呼ばれたのによほど驚いたのか、南さんが顔を振り上げた。潤んだ瞳と目が合うが、今度は逸らそうとはしなかった。
 名乗りたいが、それは出来ない相談だ。せめて、危害を加えるつもりは無いことだけは伝えよう。月彦はゆっくりと、穏かに南さんへと伝えた。
『ぐははははは。(安心してくれ。)エロ同人みたいに乱暴してやる!(お前を傷つけるつもりは無い)』
「い、いやぁぁぁぁぁぁぁ!」
 月彦の言葉に、南さんがこの世の終わりに直面したかのような絶叫を上げた。月彦も思わず驚愕するが、
『泣け! 喚け! 皆の前で晒してやるからなぁぁぁ!(えええええええええええええええええええ!?)』
 その驚愕すら、とんでもない台詞となって教室に響き渡った。しかも、音量が月彦の地声と比例してしまった為、今のは恐らく外にまで聞こえてしまった。
『ぐふふふふ(ちょ……)! 光栄に思え、地球人(オフにしろ、ガザリー)! 我自ら最高の快楽を教えてやろう(外部音声切ってくれぇぇぇぇぇ)!』
 ガザリーへの要請すら無茶苦茶だ。月彦がパニックに陥っていると、再びポンと、電子音が鳴った。
「なーに、月彦」
 にやにやと意地の悪い微笑を浮かべる架空の女の顔が脳裏によぎる。意地が悪いどころではない、きっぱりはっきり邪悪だ。怪人よりも性質が悪い。
「い…………、今のは何だ」
 怒鳴ろうとしたが、月彦は反射的に声を潜める。これ以上猟奇的な発言をさせられてはたまらない。
「今のって?」
「てめぇ、分かってやってんだろ!?」
「ああ、ごめんなさい。音声の怪人矯正システムをオフにするの忘れてたわ」
 わざとらしいガザリーの謝罪が、上滑りする。
「まさか、怪人らしからぬ発言は……」
「そう。相応しい台詞に、副音声が自動的に変更してくれるわ」
「余計なことすんなぁぁぁぁぁ!」
「いいこと、月彦。一流の怪人は、立ち居振る舞いは勿論、言葉にも品性を求められるの」
「最高に下劣な品性だな! 怪人だもんな!」
「んー、お気に召さないかしら。参考にした文献だと、だいたい女性に対してはこんな言葉で辱めてたけれど」
「良く分からねーけど、それすげー偏った知識なんじゃないのか! そもそもグランドルフはそんな台詞は吐かない、硬派な敵役だったろうが!」
「いやそうでもなくて、あの人も昔はやんちゃでさ」
「遂には知り合い呼ばわりか! すげーな、あんた!」
「はいはい、おしゃべりはここまでよ」
 ガザリーの声とともに、仕切り直すようにぱんぱんと手を打つ音が響いた。
「そろそろ怪人やってもらいましょうか。勝手は分かって来たでしょ?」
「今のどこに取扱説明があったんだ……」
「ああ、説明書読むタイプの人? じゃあ、これ」
 途端、月彦の思考にノイズが走った。
 脳に直接情報を挿入されるという慣れない異物感に思わず顔をしかめる。
「これは……」
「貴方の肉体のカタログスペックよ」
 今まで存在しなかったグランドルフの情報が、記憶として蘇る。月彦はざっとグランドルフのスペックを思い出して絶句した。
「これ……マジか?」
 体力、筋力、耐久力が、数値と具体的な例で浮かび上がる。特撮ヒーローのプロフィールによくある『キック力〇〇トン、厚さ〇センチの鉄板をぶち抜く』というあれだ。ただグランドルフの場合、その数値がどれも桁違いなのだ。下手をすれば、本当に世界征服も……。
「それでも出来ないっていうなら、私が操作してお手本をみせましょうか」
「う…………、い、いやそれはちょっと待て!」
 もう全てを投げ出したい欲望に駆られたが、なけなしの理性が月彦を押し留める。天才だか知らないが、ガザリーが取る選択肢は常識を逸している。まかせたらこの凶悪極まるグランドルフの体でどんな凶行に走るか分かったものではない。
「分かった! やるから! やりゃいいんだろ!」
「そう? 期待してるわよ、月彦。うふふふふ」
 やけくそになって請け負う月彦に、ガザリーは満足げに微笑んだ。
「じゃ、今回はデモンストレーションといきましょうか。今この周辺は見て通り、この地域の防衛組織に包囲されてるわ。世界征服の挨拶代わりに、蹴散らしちゃいなさい」
「……。いいけど、物壊すだけだからな。人には触らねーぞ」
「ま、いいでしょう」
「南さんはどうすんだよ?」
「似るなり焼くなり、青い性衝動をぶつけるなり、好きにすればいいじゃない」
 冗談ではない。
「終ったら解放するからな! 邪魔すんなよ!」
「はいはい。引き上げ時は私が指示するから。じゃ、頑張ってねー」
 ガザリーの気配が耳元から消え失せた。代わりに外部音声が切り替わる電子音が響く。お手並み拝見、というつもりらしい。
 どうも手の平の上で転がされている感が拭えないが、やらなければ(勝手な犯罪を)やられる状況だ。自分がここで悪に染まることこそが、世界平和に繋がるのだ、と矛盾したロジックを無理矢理頭に刷り込む。
『……ごめんな』
 月彦の漏らした小さな贖罪は、幸運なことに科学者の検閲を突破した。「え……」と南さんが声を漏らすが、月彦は彼女の存在を一時頭から消去する。手放せないのなら、彼女は最早体の一部として扱うしかない。
 予告無しで三階の教室から飛び降りる。金切り声が宙を割くが、無視する。体勢を入れ替えて、南さんの肩と膝裏を抱きかかえておいた。
 体感したことのない長い落下時間。出来ると確信していても、人間だった頃の感覚が正常な悲鳴を上げた。
 どん、と月彦の着地と同時に、アスファルトが足型に陥没し、飛び散った破片が校舎の窓ガラスをことごとく破壊した。衝撃による損傷や痛覚は全く発生しない。どうやら、頑丈さはカタログスペック通りらしい。
 様子を窺っていた機動隊が、騒然と臨戦態勢に入った。月彦は彼らを「敵」と認識することにする。
 怪人、影崎月彦。初陣である。

    3

『お、おおおおお、愚かな人間どもぉ!』
 記念すべき怪人・影崎月彦の第一声を、月彦は思いっきり噛んだ。ひとまず、征服する側の視点に立とうと、人類を敵に回してみたのだが、失敗だった。慣れない台詞を言うもんじゃないと痛感する。耳元でガザリーが爆笑しているような気がするが、徹底的に無視しておく。
 ただ、幸運にも月彦の噛み台詞も、グランドルフの異形に相まって、恫喝の役割を果たしたらしい。彼を中心に、喧騒が波打って広がっていく。
『き、貴様……一体何者だ!?』
 機動隊の先頭に立つ指揮官おぼしき男が、動揺も露わに誰何する。周囲の視線が一気に集中するのを感じ、後悔が胸に燻るがもう遅い。月彦は記憶の引き出しをひっくり返して、グランドルフの登場シーンを探した。
『あー、えーと、我が名はグランドルフ! 銀河に破滅と絶望を、もたらす者なり!』
 噛まないよう心がけた結果、今度は締まらない名乗りになってしまった。
 恥ずかしい。台詞に詰まったこともそうだが、内容自体も痛々しすぎる。一人称が「我」なのもきついし、「破滅」とか「絶望」とか日常会話で使わない単語を連発して、精神が擦り切れそうだ。
 月彦の複雑な心境が伝わってしまったのか、騒然としていたはずの状況に、戸惑いめいた空気が生じ始めていた。グランドルフの優れた聴覚が、意識せずとも群集の微妙な反応を拾っていく。
「あれ何だ? すげーでかいけどコスプレ?」
「今、もしかして噛まなかった?」
「飛び降りて来たけど、映画の撮影じゃねーの?」
「人質の女の子、可愛いな」
「何かあいつ、昔テレビで見たことあるぞ」
「あ、昔やってた特撮の悪の親玉じゃん」
「『ガルディオン』のグランドルフだな」
「何? やっぱコスプレ? でも良く出来てるなー」
 一昔前とはいえ、グランドルフは一定の層に深く浸透したキャラクターだ。月彦と同年代の男子なら、知っている者はかなり多いだろう。確かに見た目だけなら、コスプレだと思われるのが関の山だ。だが、むしろただのコスプレならどれだけ良かったことか。
『犯人に告ぐ! 大人しく投降し、人質を解放しろ!』
 月彦の一連の動作を無視して、指揮官が再び投降を勧告してくる。無闇につっつかれるのも困るが、完全にスルーされるのも辛い。腫れ物扱いされているようである。
『どうすんだよ……。完全に色物扱いじゃねぇか……』
「まぁ、あれだけ堂々と台詞噛めばねぇ」
 周囲に聞こえないよう小声で愚痴を漏らすと、ガザリーの苦笑が返って来た。
『そもそも、何でグランドルフに改造したんだよ!? コスプレだって思われるに決まってんだろ!?』
「だってカッコイイし」
『はぁ!? そりゃ俺もガキの頃はハマッてたから分かるけど……』
「グランドルフはね、銀河において比類無き最強の怪人だったの。銀河連邦が「悪」を象徴するのに利用するのは分かるでしょう?」
 質問に対する返答のようだったが、月彦にはまるで理解できなかった。
「ま、そんな説明は後ほど。今は月彦が白けさせたこの空気を何とかしないとね」
『俺が悪いのか!?』
「台詞回しは今後の課題よ。次回からはこんな事のないように、よく練習しときなさい」
『じ、次回!? 冗談じゃないぞ、俺は……!』
「はいはい、今回は私が声当てといてあげるから。月彦はグランドルフの身体に慣れることに集中しなさい」
『はぁ!? おい、ちょっと待…………我が姿を見てなお逃げ出さんとは、度胸だけは認めてやるぞ、地球人共』
 月彦の抗議を飲み込んで、グランドルフが饒舌に語り始めた。
『我に赦しを請うなら今のうちだぞ? 我が軍門に下り、服従を誓うなら慈悲を恵んでやろう』
『状況が理解出来ておらんようだな!』
 不敵なグランドルフの挑発は、警官達を刺激するには十分過ぎた。
『妄想は聞き飽きたぞ! 痛い目をみないうちに、泣いて謝るのは貴様の方だ!』
『……愚かなり。我が力を疑うとは、無知も甚だしい。よかろう、ならば後悔をもってその目に焼き付けるがいい』
 そこで、グランドルフの口上は途切れた。会話の内容から察するに、ここからは月彦に「暴れろ」ということらしい。
 グランドルフの腕力は、人間を相手取るには強力過ぎる。指先で撫でるだけで命を奪いかねない。示威行為の対象は、器物に絞らなければ危険だ。
 無人のパトカーに狙いを定めると、月彦は膝を折り曲げた。それだけで強靭な脚部に、異様な力が溜められるのが分かる。
 力を込めて大地を蹴った瞬間、月彦は文字通り宙を舞っていた。
『な……』
 度肝を抜かれた警官が絶句するのを、グランドルフが集音する。警官だけではない。詰め掛けた群衆も、固唾を呑んで青空を抉った漆黒の巨影を見守った。
 高さにすれば三階建の校舎を悠に越す跳躍で、月彦は機動隊の包囲をなんなく突破した。そして、狙い通り後ろに控えていたパトカーの上に着地する。
 めしゃりと、聴いたこともない金属が変形する耳障りな音が響く。巨体の見合う体重に踏み潰され、車体フレームがあっけなくひしゃげた。足がボンネットを突き破ったが、漆黒の肌は金属片ですら傷一つつかない。
 デモンストレーションには十分かと思われたが、観客の反応は薄い。実際はあまりの出来事に呆気に取られ声が出ないだけなのだが、昂揚して舞い上がった月彦は気が付かない。示威行為が不十分とみて、踏み潰した車体に手をかけた。片手で軽々と持ち上げると、ちょうど口を開けていた二年六組の教室に投げ込んだ。
 綺麗なライナー弾道で、狙い違わずパトカーが教室に着弾する。轟音と共に校舎が揺れた瞬間、思い出したかのように、ようやく悲鳴が空を裂いた。露わになった脅威の存在に、群集が我先にと逃げ出し始める。
「ば、馬鹿な……」
 グランドルフの凶行に、指揮官は完全に腰を抜かしたようだった。指揮を執るのも忘れ、拡声器を手にしたまま呆然と立ち尽くしている。同じく機動隊も、戦意を完全に失ったようだった。ふと思い出して南さんを見ると、衝撃の展開についていけずに完全に気絶してしまっていた。
 最低限の破壊活動が目的の月彦としてはありがたい展開だ。すでにやり過ぎてしまった感があるが、無用な戦闘行為だけは避けなければならない。
『こんなもんでいいだろ、ガザリー』
「うーん、ちょっと地味ねぇ」
 うんざりとした口調の月彦だったが、ガザリーの返答は渋いものだった。
「もっと大スペクタクルに出来ない? こうガーといって、どーんって感じの」
『擬音で注文つけるのはやめてくれ』
「ま、いいか。派手な演出はあの娘にまかせるとしましょうか」
『……は?』
「じゃ、月彦。最後の命令よ。そこの車両を一台、あの敵リーダーにぶつけなさい」
 何のことかと月彦が問う前に、ガザリーが無茶苦茶な注文をつけた。
『馬鹿野郎! 出来るわけねーだろ!』
「大丈夫、大丈夫。気にしないでいいから」
『ふざけんな! やらねぇからな!』
「悪いけど、ちょっと今は問答してる時間がないのよねー」
 ガザリーの声と共に、ギシリとグランドルフの体が硬直する。ハッとして身じろぎしようとするが、指一本すら自由に動かない。身体の操作をガザリーに奪われている。
『お、おい、ガザリー!?』
「ま、しばらく黙って見てなさい」
 慌てる月彦を尻目に、勝手にグランドルフが機動し、手近にあったパトカーをゆっくりと持ち上げた。
『思い知ったか、人間よ。我に刃向かう無謀さを』
「く…………」
『我に吐いた数々の暴言。死で償え』
 無慈悲なグランドルフの宣告に、指揮官同様、月彦も戦慄に肌が粟立った。
『やめろ……!』
 月彦の静止も虚しく、グランドルフは無造作にパトカーを指揮官と機動隊に投げつけた。人間に反応できる距離とスピードでは無い。拘束された月彦は、それを見守ることしか出来ず──。
 ──刹那、銀光が閃いた。

    4

『え……』
 警官隊を狙った鋼の凶器が、その軌道を空中で捻じ曲げられたのを悟り、月彦は声を失った。パトカーは無残に廃車となってグラウンドに叩き付けられている。その後ろに完全に腰を抜かした指揮官と機動隊の無事な姿を認めて、月彦はほっと安堵に胸を撫で下ろした。
 しかし、今のは……?
 強化された月彦の動体視力は、上空から飛来した銀色の物体が、空中でパトカーと衝突したのをかろうじて捉えていた。その正体不明の飛行物体が、グランドルフの凶行を未然に防いだのだ。
『本当に、復活を果たしていたなんて……』
 怒りに震える声が、月彦の鼓膜を震わせた。どきりとして、パトカーの残骸から生まれた白銀の輝きを見つめる。
『無辜の命を奪わんとするその悪行。断じて見逃すわけにはいきません』
 白銀は見る間に人の形をとり、月彦の前に姿を現した。
 太陽の光を、銀に弾くのは金属質の装甲だった。頭の先から爪先まで、全身を隙間無くプレートが覆っている。鈍重そうな見た目に対し、軽やかな動きで正体不明の金属鎧人形がグランドルフと対峙する。
 頭部は特徴的な二本の突起物が伸びたフルフェイスヘルメットで、目とおぼしき部分に赤い光が二つ並んで明滅している。その光は明らかな敵意と戦意を滲ませて、月彦を貫いていた。
 似ている、と混乱に陥りながら、月彦は謎の乱入者に目を奪われていた。
 グランドルフの宿敵、正義のメタルヒーロー「ガルディオン」にそっくりだ。細かい意匠は異なるが、デザインがほぼ同じ印象を受ける。なるほど、グランドルフがいるのだから、ガルディオンがいても全くおかしくはない論法だが……。
『が、ガザリー、これは……』
「だから、大丈夫だって言ったでしょ?」
 月彦の気の抜けた声に、ガザリーが悪戯っぽい微笑を返した。
「『悪の怪人』がいるんだもの。『正義の英雄』がいて当然でしょ?」
『……おかしいだろ。こいつが来るって分かってたからパトカーを投げたってのか? わざわざ、間に合うぎりぎりを見計らって』
「そういうこと」
『どういうことだ!? あんたの目的は世界征服じゃねーのか! 敵に気を遣う必要なんかないだろ!』
「怪人や英雄の登場は、劇的なタイミングって相場が決まってるでしょ? 一般市民のピンチに英雄がギリギリ駆けつけるって、ベタだけど分かりやすいシチュエーションじゃない」
『馬鹿野郎、それじゃまるで……』
 この大げさな立ち回りが特撮番組そのものの茶番のようではないか。
 可哀想な女子高生を人質にとり、駆けつけた警官を片手であしらい、脅威を十分に見せ付けてから、満を持してヒーローが登場する。考えてみれば話の筋が鉄板とも言うべき、ベタ過ぎる展開だ。途方もない高度な技術を駆使して、やっていることは子供向け番組と大差がない。
『銀河連邦より授かった戦士『メルロード』の名にかけて、大怪人グランドルフ! あなたの蛮行もここまでです!』
 堂々と戦国武将のごとく名乗り口上があがった瞬間、銀光が奔った。姿が掻き消えたかと思うと、瞬時に月彦の目前で、メルロードが蹴りを放っていた。速い、というレベルではない。月彦の目には残像すら映らない、電光石火の踏み込みだった。
 胴にまともに蹴りを受け、巨体を誇るグランドルフが吹き飛ばされた。衝撃に人質の拘束が緩んだ瞬間を見逃さず、メルロードが南さんの身体をグランドルフから引き剥がす。
 強い、なんてものではない。グランドルフという怪人もとんでもない存在だが、このメルロードとかいう「英雄」も馬鹿げた戦闘能力を有している。
『ふん、現われたか、銀河連邦の犬め』
 グランドルフが体勢を立て直して、獰猛に唸った。その余裕あるその動きも口調も、無論月彦によるものではない。
『この程度で我を倒そうとは……笑わせるな!』
 咆哮と共に、巨大な怪腕を振るいメルロードに逆襲する。手加減抜きの拳の応酬が至近距離で幾重にも交差するが、月彦は傍観するのみで全くついていけなかった。
 ただ、いかな衝撃にもびくともしなかったグランドルフの装甲が、メルロードの拳を受け止める度に、大きな衝撃を受けていることだけは分かった。そして、車を玩具ように持ち上げる怪力を持ってしても、メルロードにダメージらしいダメージを与えられないところを見ると、信じられないことに両者はほぼ互角の実力で拮抗しているようだった。
『く……』
 埒が明かないと見てとったのか、メルロードが大きく後退し、打ち合いから間を取った。その手が腰のあたりから、ずらりと長物を引き出した。
 メルロードが握っていたのは、一振りのサーベルだった。鈍く発行する刀身を揺らし、ゆっくりとグランドルフに狙いを定めていく。
 月彦は理解する。次にグランドルフを襲うのは、恐らく世間一般にいうところのいわゆる「必殺技」だ。全霊を込めた大技で、決戦を挑んでくるに違いない。
 対峙した時間は、おそらく一秒にも満たなかった。
 気付いた瞬間には、メルロードの刃は振り下ろされていた。痛みは無い。だが、頭頂部から股下にかけて、刃が擦過したのを月彦は体感した。
 真っ二つに叩き切られたと思った瞬間、突如グランドルフの全身から黒煙が激しく噴出した。月彦の視界が混濁し、あっという間にメルロードの姿も見えなくなる。
『やるな……メルロード。まさか我が肉体に傷をつけるとはな……』
 憎憎しげなグランドルフの声が低く響き渡る。
『まぁいい、今回は様子見だ。我が邪魔をするなら、次こそは血祭に上げるぞ、メルロード』
『逃げるつもりですか……!? 卑怯者!』
『精々威勢良く吠えるがいい。その首、しばらく預けておく。さらばだ』
 教科書通りの怪人らしい捨て台詞を吐いて、グランドルフの声が小さくなっていく。どうやら煙幕に隠れてこの場を退散するらしい。高校から退場してくれるのは単純に嬉しかったが、どうやってこの場から逃げおおせるつもりなのだろうか。
 そう疑問に思った瞬間、月彦の意識がプツリと断線した。

********************

 気が付くと、月彦は薄暗い空間に立っていた。
「……ここは?」
 と声に出してみるが、答えてくれる者はない。壁も床も無機質な金属製で、幾何学模様が描かれている以外に、主立った特長は無い。
「私のラボへ、ようこそ。月彦。そして、お疲れ様」
 途方に暮れていると、近づいてくる足音と共に、聞き覚えのある女性の声が月彦を呼んだ。
 顔を上げると、目の醒めるような赤い長髪が視界に踊った。蟲惑的な美貌に眼鏡をひっかけた女性が、親しげな笑みを浮かべて月彦を見つめている。
「……ま、まさか、あんたがガザリー?」
「その通り、始めまして、が正しいかしら?」
 右手を差し出してきたので、月彦は反射的に握り返す。そして視界に映った自分の右腕を見て驚く。
「……元に戻ってる?」
 筋肉で膨れ上がったグランドルフの剛腕ではなく、学生服の袖から覗くのは、長年見慣れたなんとも心細い人間の細腕だった。思わず胴体を見下ろし、顔を両手でまさぐる。髪の感触、そして指がなぞる顔の造型。グランドルフだったことが夢であったかのように、その異形は霞のように消え失せていた。
「いろいろといきなり要求して悪かったわね。こっちにもいろいろ段取りがあってねー」
 謝っているようだったが、声には謝罪の気持ちが欠片も宿っていない。
「聞きたいことは山ほどあるでしょうけど、そうね。まず一つ言っておくけれど、貴方、死んでないから」
「はぁ!?」
 さらっと衝撃の事実を言われ、月彦は目を剥いた。
「で、でもグランドルフに改造したって」
「自分の肩を見てごらんなさい」
 そう促されて自分の肩を見下ろすと、右肩の付け根が小さく盛り上がっている。触ってみると、硬い金属質の手触りだった。
「それはグランドルフの偽装形態。貴方の意思や、私の操作で本来の姿を取り戻して、貴方をグランドルフに「怪装」させるわ。まぁ、グランドルフ型のパワードスーツを着用していると考えればいいわ」
「……はぁぁぁぁぁぁぁ」
 月彦は盛大に溜息を吐いて床にへたり込んだ。いきなり突きつけられた自分の死と、肉体の改造が撤回され、一気に月彦の中から疲れが湧き出してくる。
「もう、何なんだよ一体。あんたは一体俺に何を求めてるんだよ……」
「そうね、一言で表現すれば「宇宙全体の恒久的平和」なんだけれど……。長い説明になるけれど聴く気はあるかしら?」

 月彦に告げられたのは、俄かには信じがたい「宇宙の歴史」だった。
 ガザリーも、そしてあのメルロードも、宇宙の遥か彼方からの来訪者だった。そして、グランドルフとガルディオンも、共に実在する怪人とヒーローであり、かつて放映された「破邪銀装ガルディオン」は史実に基づいて、製作された特撮番組だったのだ。
 銀河連邦の定義によると、「怪人」とは「星間指名手配中の犯罪者」を意味している。
 宙航技術の革新や他星系への航路の発見により、幾多の惑星の間で、無数の交流が結ばれることとなった銀河の新時代。新たな邂逅は、物資やテクノロジー、文化の伝達といった限りなく巨大な恩恵を星々に与えることとなった反面、惑星間渡航技術を悪用する犯罪者の横行も許すこととなる。
 犯罪者の出身星系により、その姿形、能力や科学技術は多種多様であり、各惑星個別では対応出来なくなるほど事態は悪化していった。
 そこで、航路によって結ばれた星系が星間犯罪を取り締まる為共同で立ち上げた組織が、銀河連邦である。銀河連邦は広大な宇宙を股にかけ暴れまわる犯罪者の総称を「怪人」とし、断固とした粛清を行うことを宣言した。
 以降数千年、銀河連邦と怪人との間で無数の闘争が行われたが、十二年前、ついに銀河連邦は怪人の一大勢力の首領であったグランドルフを討ち取ることに成功した。その戦争時、銀河連邦の旗頭であったのがガルディオンであった。
 全宇宙に放映されたガルディオンの雄姿、そしてグランドルフを失った事実は、怪人組織に大きな衝撃を与えた。そして、その瞬間から彼らの影響力は加速度的に減少していくことになる。
 だが、それでも、怪人の火種が銀河から絶えたわけではない。
 ガルディオンの発案により、更なる怪人の根絶を図るプロジェクトが発令された。
 彼を継ぐ、新たなる英雄を登場させ、銀河の平和のシンボルとすること。そして、銀河連邦が有する怪人への抑止力を、徹底的に銀河中に響き渡らせること。
 その次代のヒーローとなるべく、若さと類稀なる才能を持ったメルロードが抜擢された。
 だが、優秀とはいえ、未熟であるメルロードに本物の怪人と対決させるには危険過ぎる。その為に、ガルディオンは秘密裏に、メルロードを活躍させる舞台と、彼が倒す怪人役の選定を進めて行った。
 舞台となる惑星の条件は二つ。まず文明が水準にまで達していること。そして、情報漏洩を確実に防ぐために、銀河連邦に所属しておらず、所在が判明していない辺境の惑星であることだった。その二つに当てはまっている惑星が、地球であった。
 舞台が見つかると同時に、ガルディオンは現地での怪人役の調達へ踏み切った。理由は同じく、機密が外宇宙に漏れることを避ける為である。
 かつて銀河を血で染め上げた死神の姿を持つ謎の怪人が、部下と共に辺境の惑星を襲撃した。その恐るべき存在に敢然と立ち向かう、新たなる英雄。これが、銀河連邦が書いた概ねの筋書きだ
 ただ、地球人は銀河連邦の科学技術に対応できる能力がなく、怪人役をこなすには「怪人の資質」とも言える一種の才能が必要であった。
 その才能を有する人間が見出され、彼は不幸にも銀河連邦のマッチポンプに付き合う羽目になる──。

「もしかして……それが俺か!?」
「その通り、おめでとう、月彦」
「断る!」
 ガザリーが拍手交じりに祝福してくるが、月彦は即断で拒否する。
「そもそもいいのかよ! 正義の味方が、全宇宙を騙すような真似して!」
「まぁまぁ。平和を維持する為の嘘だもの。別にいいじゃない」
「良くねぇよ! それに才能ってなんだ!?」
「だから言ったでしょ、専門知識がないと理解できないって」
 ガザリーがやれやれと溜息をつく。
「貴方、子どもの頃にグランドルフ人形を買ってまだ持ってるでしょ?」
「……ああ、あれがどうかしたのか」
 先程も、その人形については言及された気がする。月彦は警戒しながらも頷いた。
「銀河連邦がわざわざガルディオンの番組を作った理由は、それをばらまく為なの」
「……は?」
「その人形には細工がしてあってね。グランドルフスーツを受け入れられるバイタルサインを見つけ出す受信機が取り付けられているの。広く怪人の才能を持つ子どもたちを見つける為に。合わない波長を持つ人間は、興味を失って捨てちゃうんだけど、合う波長の人間は無意識のうちに大事に保管するようになってるの」
「…………う、嘘だろ。じゃあ、俺はまんまとその網に……」
「かかったわね。それも、貴方一匹だけ」
「嫌だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
 月彦は絶望の雄叫びを上げて、床に崩れ落ちた。ガザリーが、その肩をぽんぽんと優しく叩く。
「大丈夫。貴方に拒否権は無いから。もし断られても、人目を憚らずこっちから勝手にグランドルフに怪装させるから」
「脅迫じゃねぇか! こっちの都合を少しは考えろ!」
「怪人ライフも楽しいわよー。人間にはもともと必要以上の危害は加えられないようにセーフティかかってるから安心して暴れられるし」
「そういう問題じゃねぇから!」
「うるさい(ごめんなさい)、ごちゃごちゃ言わずにやれ(貴方しか頼れる人がいないの)」
「主音声と副音声が逆になってんぞ!」
「はいはい。私も疲れたから、今日はここまでよ」
 ぽんぽんと手を打って、ガザリーがお開きの様相を呈する。途端、月彦の周囲が淡く発光し始める。
「家まで転送してあげるから、今日はゆっくり休みなさいな」
「ちょっと待て! 話はまだ終って……」
「あ、忘れてた」
 月彦には全く取り合わず、赤髪の美女はわざとらしく今思い出したかのように呟いた。
「怪人になってくれたお礼も家に届けといたから、よろしくね──」
 そう耳にした瞬間、周囲の背景が溶けて混ざり、月彦の意識が再び暗転した。

 5

「……ただいま」
 気が付くと、懐かしき我が家の前に立っていたので、月彦は小さく呟いて門をくぐった。目まぐるしい一日であった。朝家を出て、グランドルフの騒動があったのは昼過ぎ。そして、帰宅は何故かちょうど夕方で、西日が眩しかった。
 破壊しつくされた学校はどうなったのだろうか……。南さんにも会わせる顔がない。向こうはグランドルフが月彦だとは露も知らないだろうが、気まずいことこの上ない。
 これから先、自分に起こるであろう宇宙的な超常現象を思うと憂鬱だった。要はこれから、あんな化け物じみたメルロードとかいう怪物とお芝居とはいえ戦っていかなければならないのだ。こちらは芝居でも、向こうは本気だ。本気で怪人を潰しにかかってくる。今日相手をしてみて分かったが、とても自分が太刀打ちできる相手ではない。怪人の才能とやらでどうにかなるとも思えなかった。
 とにかく今は休息が欲しかった。月彦の帰宅に反応する家族の声は無く、彼は無言で靴を玄関に脱ぎ捨てた。
 ──そういえば、別れ際にガザリーがお礼がどうとか口にしていた気がしたが……。
 疑問に思いつつ顔をあげると、ソレと目が合った。
『お帰りなさい。月彦さん……ですよね?』
「…………」
 家の廊下の奥に、何故か見覚えのある銀の鎧人形が行儀良く姿勢を正して月彦を見つめていた。月彦は見なかったことにして、自分の部屋に続く階段を昇っていく。
『え……え……? あの……?』
 背中から戸惑った声が響いてくるので、月彦は仕方なく引き返した。そして、怒りで満たされた感情を抑えきれずに、無謀にもメルロードに詰め寄った。
「どうして、お前がここにいるんだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
 月彦の渾身の怒声が、影崎家を揺るがした。その剣幕にメルロードがあたふたと慌て、何だ何だと家族である妹と母親がリビングから顔を出した。
「母さん! 何だ、こいつは!」
 びしっとメルロードを指差す月彦に、母親はあっけらかんとして、
「メルちゃんよ、銀河からの留学生の」
「はぁ!? いや、留学生って」
「何でも、宇宙の平和を守るヒーローを目指しているんですって。素敵ね、今日の昼間も凄くカッコよかったし」
『そんな、お母様。私などまだまだ未熟者です』
 母親が日常会話であるかのように話すので、月彦は一瞬自分の方がおかしいのかと思ったが、気を持ち直す。こんなこと、断じて認めてはならない。
「お父さんの知り合いのご紹介らしくて。メルちゃんも、まだ地球に不慣れでしょ? だから、ホームステイの形で我が家に」
「冗談だろ!? ずっと居座る気かよ!」
「いいじゃない、部屋も空いてるし」
「そういう問題か!? なんでそんなおおらか何だよ!」
『す、すみません。ご迷惑のようですね……。ガルディオン隊長からも此方のお宅を勧められたのですが』
 月彦は理解した。メルロードの上司、ガルディオンとガザリーが裏で繋がっているのは明白だ。つまり、これはガザリーの差し金なのだ。彼女は、怪人である月彦とその敵対者を同居させる腹積もりなのだ。遊んでいるとしか思えない、舐めきっている。
 穏やかな日常を、既にガザリーに踏み潰されてしまっているのだ。その上、家にまで宇宙ヒーローにのさばられては、とても身が保たない。
『す、すみません。私はこれで失礼を……』
 先ほどグランドルフと対峙した気迫はすっかり影を潜め、シュンと肩を落としてメルロードが頭を下げる。
「そんな、メルちゃん、別にいいのよ。月彦なんか道端の雑草だと思えば」
「俺の扱い酷くねーか、母さん!」
「困ってる人を見捨てようとするあんたが悪いんでしょ。正義の味方をないがしろにするなんて、月彦、あんたまさか怪人の味方するつもりじゃ」
「な、ななななな、何を言い出すのかなお母様! そんな訳ないじゃありませんか!」
 妙に鋭い母親の言葉に、月彦は脂汗をだらだら流しながら慌てて否定した。万が一、メルロードにばれでもしたら、どんな目に遭わされるか考えるだに恐ろしい。
 メルロードはすでに、母親と妹に快く歓待されているらしく、妹に至っては「わーい、私、お兄ちゃんよりお姉ちゃんが欲しかったんだー」と喜んですっかり懐いてしまっている。その姿に実の兄として、月彦は多大なショックを受けたが……。
「…………お姉ちゃん?」
 妹の言葉が頭にひっかかった。
 今までヒーローなのだから、と勝手にメルロードの事を男だと思っていた。
 しかし、考えてみるとやけに言葉遣いも丁寧だ。装甲のフォルムや仕草も、どこか人間の女性を彷彿とさせるような……。
「……お前、そのヘルメットって素顔なのか?」
『え……? いえ、これは私の戦闘装甲かつ正装で……』
「ヘルメットくらい脱いだらどうだ? 家の中だぜ?」
『そ、そうですか? では……』
 月彦の勧めに、ゆっくりとメルロードはヘルメットに手をかけた。バシュっと空気が抜ける音が響く。
「…………ガザリーめ」
 ヘルメットの下から覘いたメルロードの素顔を見て、月彦はガザリーが彼女のことを「お礼」だと称した理由を悟った。
 短く切りそろえた銀髪がさらりと風に流れ、その下に輝く大きな青い瞳が月彦の半眼と交わった。抜けるように白い頬が、少し恥ずかしそうに蒸気している。月彦と同年代、どこか浮世離れした絶世の美少女。それが銀河のヒーロー──いや、ヒロイン候補、メルロードの正体だったのだ。
「あ、あの……」
 鈴が揺れるような声で、メルロードが月彦に声をかける。
 卑怯だと思った。あのフルフェイスヘルメットの下から、こんな少女が出てくるとは予想していなかった。可愛い、と一瞬視線を奪われてしまった瞬間、月彦はメルロードを追い出す気力を失った。
「……くそ、勝手にしろ」
 せめてもの悪態をついておく。このまま認めてしまったら、メルロードの美貌に負けてしまったようではないか……。すでに、母親と妹はにやにやと月彦を眺めているが。
「ありがとうございます! 月彦さん! これからよろしくお願いします」
 メルロードがパッと顔を輝かせ、はにかんだ。
 年相応のとても戦士だとは思えない、可愛らしい笑顔だった。
「いろいろ地球のこと教えてくださいね!」
 誰にでも懐く犬のように尻尾を振るメルロードに、月彦は大きくため息をついた。
 まず、彼女に教えるべきことは、もう少し人を疑えということだろう。
 そして、今後──出来れば、もうちょっとだけ、怪人を殴るときは優しく頼む、と。
                                   ──了

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