くたばれ鳥取

〜ウチの妹が鳥取に嫁ぐわけがない〜

登場人物
私(俺・僕)──

主人公。二十歳後半の独身男。
作者と家族構成や境遇が似ているが、一切関係無い。
作者の妹も結婚するが一切関係無い。

 

S子──

主人公の妹。結婚予定。


T也──

S子の結婚相手。鳥取県民。くたばれ。

 

「S子、結婚するから」


 ──忘れもしない2011年6月18日。
 少し遅めの夕食をとっていた私に、その報告は母から突然もたらされた。


「へ、へぇぇ、ぇぇぇ〜」


 私は些末な三面記事でも耳にしたかのように、素っ気無く頷いた。しかし、それは私の完璧な鉄面皮の成せる技であり、内心は測り知れない動揺の嵐が吹き荒れていた。
 ──結婚!?
 いきなり!?
 一ヶ月に一回は実家で顔を合わせてたけど、そんな素振り見せなかったぞ!
 いや、妹も結婚してもおかしく無い年頃である。二十代の半ばなのだから、結婚するタイミングとしては丁度良いかもしれない。
 美人ではないが、兄の目から見てもそう外見は悪くないし、料理専門学校に通っていたから料理は人並み以上に出来る。少々、見栄っ張りで知ったかぶる態度を取る時もあるが、相手と会話しようと努力していると考えるならば、ただの短所ばかりともいえまい。
 色恋の欠片も見せないこの愚兄より、先に結婚するのは家族の誰しもが思っていただろうし、私もそう予想していた。
 その予見が当るべくして当っただけである。しかし、この荒波押し寄せる断崖に放り出された気分は何なのだろうか。
 食卓には私一人しかおらず、母が洗物をしているだけで、隣の居間にも家族は誰もいなかった。
 実家では、両親と、祖母と、そして妹が三人暮らしている。その妹のうちの、長妹がこの度結婚する運びとなり、普段実家から離れて生活していた私以外の全員が当然、その驚天動地の事実を知っていたわけだ。
 尋ねなければならない事は山ほどある。
 相手となる男の年齢、職業、容姿、性格、嗜好。どこで馴れ初めたのか、どのくらいの交際期間を経たのか。結婚の段にまで話が進んでいるのなら、当然両親への挨拶も済ませているのに違いない。その時の印象はどうだったか、コワモテの父の反応は如何な物だったか。結婚式の場所や、日取りなどの段取りも頭に入れておかねばなるまい。一つ一つ冷静に小一時間問い質さなければ。


「……相手はどんな人?」

 

 頭の中はぐるぐると葛藤が巡るものの、口から捻り出せた言葉はこれだけであった。
 しかし、最も知りたいのは、相手がどんな輩なのかに尽きる。
 この愚兄と長年生活していたのだから、駄目な男がどんな類であるか、S子は熟知しているはずである。その彼女が生涯を共に歩む伴侶として選んだのだから、それはもうさぞかし快男児に違いあるまい。
 私の曖昧な質問対する母の答えは、想像だにしなかった、戦慄を呼ぶ、おぞましい宣告であった。

 

「──鳥取の人」

 

山口県と鳥取県は、地球とイスカンダルより遠い……!

 

 時は一週間ほど遡る。
 私は週末の夜、広島の繁華街にいた。
 東京で働いている友人が、彼の兄の結婚式で広島に来ると言うので、およそ半年振りに会おうという事になったのだ。
 結婚式の二次会にも参加し、幸せそうな新郎新婦を見送った後、新婦の弟さんも交えて話をする機会を得た。
 兄弟が結婚すれば、次は自分の番──。結婚式の後なだけはあり、当然そういった話題が多かった。その中で特に心に刺さったのが、友人と弟さんが異口同音に、

 

「ばあちゃんから、早く結婚してくれないと、ばあちゃんいなくなっちゃうよ、て言われたよ……」

 

と釘を刺されたことを語った事だ。
 私も父方の祖母と、母方の祖父が健在である。孫が円満に結婚する事を、望んでいてくれているに違いないと思えば、実に胸に詰まされる気分であった。
 「お前も妹が結婚したら、相当言われるよ」という重苦しい一言に苦笑いしたわずか一週間後に、こんな事態に陥るとは。
 だが、それよりも何も──。

 

「と……鳥取!?」

 

 今まで平静を保てていたが、その母から漏れた恐るべき単語には、流石に驚愕を隠し切れなかった。久しぶりに味わっていた、いわゆる「おふくろの味」も、舌が認識出来なくなっている。
 何故!?
 全く理解出来ない! 意味が分からない。鳥取って、まさかあの、人外魔境の鳥取……!
 一体誰が、職場が山口県内の妹が、鳥取県の男と結婚する事を予想し得ただろうか。
 ぐっと息を呑み、激しい動悸を感じながら、息も絶え絶えに、

 

「な、なんで鳥取……?」

 

 と声を絞り出すのが、その時は精一杯であった。
 母は二人の馴れ初めを簡略に語って聞かせてくれた。妹のプライバシーの為にそこは伏せさせていただくが、ただどうやら、相手が鳥取県の男であるのは、私の幻聴でも、妄想でも、白昼夢でも無かったらしい。
 出来れば全て幻であって欲しかった。自分の脳に深刻な異常が起きていた方がまだマシだった。
 ──これは紛れもない現実……。現実なのだ……。
 私は目の前が真っ黒に淀んでいくのを感じた。
 他県の方々からみれば、

 

「山口県も鳥取県も、同じ中国地方じゃねーか」

 

 と、誤解されるかもしれない。
 それは、とんでもない間違いである。同じ中国地方に属しながらも、鳥取県とは山口県民にとって未知の土地なのだ。家族旅行で九州、四国を踏破している我が家族ですら、一歩とて踏み入れた事が無い秘境。それが鳥取県である。
 なるほど。確かに地図を見れば山口県と鳥取県は近いように見える。しかし、この交通網が縦横無尽に発達した現代社会において、地図上の距離など何のあてにもならない。
 鳥取県を含む日本海に面するいわゆる『山陰地方』は、瀬戸内海側の『山陽地方』への交通手段を、峻険な中国山脈によってほぼ断絶されている。こちらからの移動手段に、新幹線はおろか、高速道路すらない。山口県から訪れようと試みれば、岡山辺りまで高速を使い、そこから北上をしなければならない。
 その移動にかかる時間は、旅行者への聞き込みによると六時間強。山口宇部空港を使えば、一時間半で鳥取よりも遥か彼方の東京に着くというのに、『同じ中国地方』でありながら六時間もかかるというのである。最早正気の沙汰ではない。
 これをかの有名な『宇宙戦艦ヤマト』に例えるとしよう。
 『宇宙戦艦ヤマト』は、言わずもがな地球からイスカンダルへ、地球を救う装置「コスモクリーナー」を取りに行く為に、沖田艦長を筆頭としたクルー達の艱難辛苦の宇宙冒険譚である。アニメでは二六話を費やして語られる壮大な物語だ。
 それを鳥取県への道すがらに車内で鑑賞するとしよう。アニメはCMを除けばオープニング、エンディングも含めて二四分程度である。それを二六本とすれば、単純に計算して、六二四分。十時間半弱といったところだ。
 山口から鳥取へかかる時間は六時間……。つまりヤマトのように往復すると考えれば、一二時間はかかるのである──!。
 つまり山口県が滅亡の危機に瀕し、鳥取県にある「コスモクリーナー」を取りに行くとすると、広島県と山口県の境に辿り着く辺りで、山口県は滅亡する。(ヤマトは三〇日の猶予を残して地球に帰還している事を踏まえてもである)
 なんという卑劣な行為であろうか。鳥取県民は山口県を救う気など毛頭無いのである。
 S子が相当な苦悩を経て、相手の男との結婚に望もうとしていることが窺える。妹の意向を最大限に尊重すべきだと思いつつも、果たしてそれが妹の為になるのか。私は兄として、暗く深い逡巡の闇に引きずり込まれた。
 「私、ボンゲドルググ島の人と結婚する!」と聞いた事も無いような島に嫁ごうとする娘を、思い留まらせようとしない親がいるだろうか。いるわけがいない。断じて存在してはならない。
 止めるべきなのではないか。しかし、私の言葉に、妹は深く深く傷つくことになるだろう……。身を引き裂かれるような葛藤を、喜ぶべき妹の結婚で味わうことになろうとは……。
 その決断を即座に下すことは躊躇われた。まだ情報が不足している。よく考えれば、まだ相手が「鳥取県の男」だということしか判明していないのだ。
 母に更に素性を問うと、職業を聞く限りは、全うに働いている御仁のようである。そういった面の心配はひとまず無いということだろう。
 しかし、気が重い……。
 おそらくは、結婚式は鳥取県であるだろう。兄の私が行かないわけにもいかない。六時間の暗鬱とした車の旅を楽しまなければならないのだ。

 

「結婚式の日取りはいつ?」

 

 暗い私の声に気付きもせず、母はカレンダーをめくりながらに答えた。

 

「えーと、11月の21日ね」

 

 今年の11月21日。既に半年を切っているのか──。
 ぼんやりとそう考えながら、手元の携帯を手繰って、日付を確認する。

 

「11月……21日……。って……え……?」

 

 信じられない事実に気が付いてしまった私は思わず硬直した。見間違いではないかと、カレンダーを何度も確認する。しかし、事実は厳然として揺るがない。
 なんと、11月21日は……。

 

「げ…………月曜日……!?」

 

 まさか!?
 そんな馬鹿な……!?
 結婚式を、月曜日に!?
 正気か!?
 正気なのか、この野郎は……!
 最早社畜と化しているこの身に、平日休む為にどれだけ負担がかかるか、この鳥取野郎は果たして理解しているのだろうか。いや、あるわけがない。一欠片でも理性があれば、社会人が平日に結婚式を開催するわけがないのだ。
 下手をすれば全国から知人を呼ぶのが、結婚式というイベントである。祝い事には違いない。違いないが、参加する人間にも負担がかかるのも厳然たる事実である。新郎新婦は、その負担を少しでも減らそうとするのが、感謝の表し方というのではないのだろうか。もしかしたら今はそれが普通なのか!?
 しかも、しつこいようだが、結婚式が執り行われるのは山口から最果ての地、鳥取である。当然、前日から鳥取入りをしなければなるまい。そして、おそらくは結婚式当日に帰郷の途に着くのは無理であろう。
 つまりは……。ああ神よ。こんな蛮行が許されるとでもいうのでしょうか。私は火曜日も会社を休まなければなくなるという最悪の事態に追い込まれるのだ……!
 休み明けに、どれだけの仕事が会社に山と積もっていることか……! ジーザス! 神は死んだ! しばらくは残業の雪崩に私は死に物狂いで対応しなければならないだろう。
 ここでハっと私は気付く。背筋が凍りつく。
 この凶行は鳥取野郎からの私への宣戦布告なのではないか、と……。兄である私が、彼と妹との結婚に難色を示すことを予見し、私への敵意を早くも顕わにし、牙を剥いて来たのだ。そうに違いない、疑うべくもない。
 恐るべき行動力と先見を持つ相手だ。我が妹は、怪物に魅入られてしまったのである……!
 この胸中の淀みを吐き出さなければ、気が狂いそうであった。だが、家族にそれをぶつける訳にはいかない。様子から見て、家族はすっかり鳥取野郎に懐柔されている。まだ、家族の目を醒ます手段を、私は手にしていないのだ。
 私は助けを求め、藁にもすがる思いで、携帯のアドレス帳をめくった。


 誰に感想を尋ねても「何も無かった」という回答しか返って来ない鳥取県。


 まず、誤解があるとしたら、解かねばならないだろう。
 決して、私と長妹の仲は悪くはない。むしろ、世間一般から見れば相当仲が良い部類であろう。一例を上げれば、以前、妹が私の部屋に何故かハ○ター×○ンターのBL同人誌を置きっ放しにし、それを知らずに自室に友人を招き入れた私が、あらぬ誤解を受けたくらいに良好である。
 そして、鳥取県に関しても決して浅薄な知識を持って貶めているわけでもないことをご理解頂きたい。一般常識人よりは、鳥取県について詳しいと私は自負している。
 証拠として、その知識を多少披露しよう。
 ヤングガンガンに連載中の『天体戦士サンレッド』の作中で、何と鳥取県のヒーローが登場するのである。
 その名も「鳥取戦士サキューン」。当作がアニメ化された際、このサキューンにもテーマソングが作られた。その歌を暗譜している私は、伝聞ではあるが鳥取県の内情に精通しているのである。
 鳥取砂丘は言わずもがな、宍道湖、水木しげる、大山(だいせん)、三朝(みささ)温泉、しゃんしゃん祭り、二十世紀梨、『山陰の松島』浦富海岸──。
 鳥取県といえば、ざっとこんなものである。
 そして、人口は五九万人。隣の島根と人口を足しても、山口県の首ほどにしか及ばない程度である。
 勝てる! 山口県と鳥取県の全面戦争に発展したとしても明治維新の雄を輩出した山口県が後れを取る可能性など、万が一にもありえない。
 そう、客観的に県力を比較しても、山口県が鳥取県に劣る点など、何一つ無いのである。
 例えば、鳥取といえば、誰しもがまず鳥取砂丘を上げるだろう。テレビや写真に映し出される景色に、思わず広大なサハラ砂漠のような風景を連想してしまいがちだが、事実は違う。
 ご存知の通り、鳥取砂丘は海に面している。つまり、所詮はちょっと規模のでかい丘陵がある砂浜に過ぎないのである。自然の造形美とは言い難い。富士山がくしゃみをして巻き起こした砂山のような物と言って過言ではないだろう。
 それに比べて、山口県の誇る自然が生み出した芸術品の数々を皆様はご存知だろうか。
 あえて一つ挙げるとするならば、秋芳洞(あきよしどう)であろうか。これは山口県美祢市の秋吉台の地下に横たわる日本最大規模の巨大な鍾乳洞窟である。
 一度潜れば誰しもが、異世界に迷いこんでしまったのではないか、と錯覚してしまう霊威と神秘に満ちた空間である。その魅力は、いかに筆舌を尽くしても一割にも満たぬ程度しか伝えることは出来ないだろう。
 遠近感の狂う程に高い天井は「青天井」と呼ばれ、洞窟内にあって、黎明の蒼穹を思わせる荘厳さを放っているし、「黄金柱」の名を冠された巨大な鍾乳石の柱は、圧巻の一言に尽きる。名前の通り膨大な石灰の器が並んだ「百枚皿」、天井から無数の鍾乳石がぶら下る大空間「傘づくし」など、この地下の光景はまさに大自然という芸術家が何十万年と刻み続けた、至高の彫刻である。
 そんな美術品に日頃から慣れ親しんでいる山口県民にとって、同じく自然の産物とはいえ砂丘など、児戯に等しき些末な砂山である。自分で持ち上げておいて、比較するにも無駄であった。
 他にも有名な水木しげるロードなる妖怪の彫刻が立ち並ぶ名所があるそうだが、残念ながら山口県にも彫刻の街、宇部市がある。宇部市は市内の各所に、素人には全く理解出来ない類の現代アートな彫刻を乱造しており、その造型は大妖怪と称して何の問題も無い。
 宍道湖のシジミも、近所の河で採れるシジミが十分過ぎる程に大きくて美味であるし、二十世紀梨に至っては、私の母の実家が絶品の梨を作る農家なのである。
 私は未だかつて、祖父の梨よりも美味い梨に出会ったことがない。皮を剥けば滴る程の果汁は、実に溶け切れなかった高い糖度の上澄みである。触感、甘味、そして梨ならではの瑞々しさ。何一つとっても完璧な祖父の梨を前にしては、如何な二〇世紀梨の原産地とはいえ鳥取県の梨など敵うべくもない。
 否、その慢心が祖父の梨に届かない理由とも言えるだろう。後塵を拝してでも鳥取県の梨農家は祖父に教えを請うべきある。
 改めて、知れば知るほどに、山口県と鳥取県の間に深い断絶があるのを私は思い知った。
 妹の結婚を好機と見て、鳥取県が山口県に攻め込もうとするのも無理からぬ話だ。負けるつもりは全く無いが、だが妹を人質に取られては此方の剣が鈍るのはどうしようも無い。
 更なる鳥取県の情報を集めねば……!
 焦燥に駆られた私は、以前鳥取に行った事があるという友人へ電話をした。繰り返されるコール音がもどかしい。何十分も待たされた気分になりながらも、着信音が止んだ瞬間に私は叫んだ。

 

「大変だ! 俺の妹が鳥取の男と結婚する!」
『…………は?』

 

 友人は怪訝そうな声を電話口から此方に漏らした。
 む、この切迫事態を理解出来ないとは余りにも平和ボケに過ぎるのではないか。そう思いながらも、私は事の仔細を説明した。鳥取に行ったという彼の貴重な体験は、私の力になるに違いないのだ。

 

「砂丘は思ったほどたいした事無かったなぁ。ラクダが引く馬車があってさ。中がコタツになってた」

 

 ──ふむ。なるほど。それは知らなかった。奇妙な原住民の風習だな。

 

「後は、山口ほど道が良くない。ほとんど一車線だし」

 

 ──まぁそうだろう。陸の孤島であるのは明白なのだから。

 

「車で行ったんだけど、周りがほとんど五〇キロ台で走っててさー。時間が滅茶苦茶かかったよ」

 

 ──それは、由々しき問題だ。

 

 山口県の運転マナーは「広島県の次に丁寧」と揶揄される程、健全なものである。山道ですら80キロ軽く越えるスピードを出す我々に、果たしてそんなのんびりとした速度が耐えられるのか。

 

「後は、何もなかったねぇ」

 

 ──……何も無かった、とは?

 

「いや、そのまんまの意味で。山ばっかりでさ。コンビニとかも無くて、自分がどこに向かっているのか、本当に道が正しいのか、ナビがあっても不安になる」

 

 ──……。

 

 恥ずかしながら山口県も、他県から見れば「地方の寂れつつある県」という認識であろう。しかし、そんな山口県出身の友人に「何も無い」と言わしめる鳥取県は、どれだけ閑散としているというのか。おそらく、左を見れば海、右を見れば山、というのが鳥取県の実体なのだろう。
 この後、私は地道なリサーチによって何人かの鳥取体験者に出会ったが、口を揃えて「本当に何も無かった」という回答を得た。鳥取県は本当は真空の宇宙空間なのではないかと疑いたくなってくる。
 流石にそんな事はないだろうが、だが過酷な環境で生活をしている鳥取県人は、私が想像しているよりも遥かに強靭なのかもしれない。危うく慢心しかけていた心に、友人は冷や水を浴びせてくれた。鳥取県人を侮るのは得策ではない。全力を持って叩き潰すべき相手だったのだ!
 私は友人に厚く礼を述べて、通話を終えた。
 怨敵の手の内は読めた。後は、その首に我が刃を突きつける機会を待つばかりである。
 「鳥取はどんな所なんですか?」と尋ね、相手が鳥取を自慢しようものなら、更に上をいく山口県の優秀さを語って聞かせれば良いのである。そうすれば長妹も恋の盲目から醒め、失われた郷土愛を再び取り戻すであろう。鳥取野郎が改心し、山口県に忠を誓うというのならば許してやらない事もない。私もそれくらいの度量は持ち合わせている。

 ──その機会は、待たずして再び母からもたらされた。

 

「そういえば、来月相手の人、うちに来るから。あんたもその時帰って来る?」

 

 居間に戻った私に、母は何でも無いことのように決戦の日時を伝えてきた。
 そう。これは決闘の果たし状に相違ない。
 今日という日まで、妹との結婚を私に秘しておきながら、次に襲来する日時を通達してくるやり口。一気に此方へ畳みかけようというのだ。
 間違いなく罠を張り巡らし、鳥取野郎は万全の体勢で私へ襲い掛かって来るだろう。私の味方は誰一人としていない。だが、望む所だ。そんな劣勢を打ち破ってこそ、家族の絆が取り戻され、再び輝くのだ。

 

「……うん」

 

 燃え上がる闘志を胸に。
 私はその果たし状を受け取った。
 その日の深夜。
 日も変わるという頃に風呂から上がり、居間に入った私はS子と鉢合わせた。
「まだ寝てないのか」と問うと、彼女はテレビを見ながら「もうちょっと」と素っ気無く答えた。
 ──かけてやりたい言葉は山ほどある。だが今は、その時ではない。
 結局、その日は私もテレビをぼんやりと眺め、幾つか会話を交わしたものの、妹と結婚の話をする事は無かった。


 山口県 対 鳥取県 の行方。


 妹がいる兄ばかりが集まった飲み会に参加した友人がいる。
 会合の中で、「何だかんだ言って、妹は大事」と、口々に兄同士が胸中を語ったという。
 その話を聞いて、私は「やはり妹ってのは、兄にとっては本当に特別な存在なんだな」と確信を抱いた。
 兄、姉、弟のいない私には、比較対象が無い。だが、妹達には、自分よりも幸せになって欲しい、と切に願っている。この気持ちには何ら偽りはない。きっと、件の顔も知らぬ兄達も同じ願いを抱いているだろう。
 兄は妹の保護者ではない。だが、先に生まれたおかげで、兄は幼少の妹がか弱い存在であることを良く知っている。「彼女たちを守ってやらなければ」という家族愛が、彼らの成長を促す一端となる。
 そのか弱いとイメージを、大人になっても恐らく私は持ち続けていた。自分が多少なりとも成長したように、妹達とていつまでも弱いままではない。だが、決して放っては置けないし、困っているのなら助けてやりたいと思う。
 その役目をもう自分が負う必要が無い、と知るのは少し──いや、とても寂しい、と感じてしまうのだ。
 T也と名乗る鳥取野郎のいでたちは、悪くは無かった。というか、悔しいが私の容姿を客観的に省みれば、余程清潔で精練として整っている。
 三〇代前半の彼は、歳相応に落ち着いて見える。絡んでやろうと息巻いていたのに、年上となると非常に絡みづらい。向こうが一応立場上は義弟になるはずなのだが、年齢同様にどう見ても、雰囲気からしてあちらの方が大人で、兄である。
 だが、このまま怖気づくわけにはいかない。最早我が一族の命運は、我が手にあると言っても過言ではないのである。
 軽い自己紹介を終え、食卓を囲んだ後に、私はついに切り出した。

 

「鳥取って、どんなところですか?」

 

 相手の表情を盗み見ながら、必殺の一刀を放つ。鳥取野郎は私の顔を見て、思案するかのように口を閉じた。やがて、苦笑いしながら、「やっぱり、ちょっと田舎ですかね」と答えた。
 その回答に、私は内心ほくそ笑んだ。
 少なからず卑下をしてみせるのも、想定の範囲内である。抜け目のない相手だという予想は正しかった。
 だが、此方の方が一枚上手だ。彼は今、嘘をついた。鳥取県は「ちょっと田舎」どころではない。「とんでもない田舎」なのである。そうやって言葉巧みに妹を誘惑したに違いない。
 その矛盾点を遠まわしに指摘しようとした私を、鳥取野郎は機先を制するかのように遮った。

 

「私も、二年前に鳥取に引っ越したばかりなので、詳しくはないですけど」
「…………。…………は?」

 

 鳥取(?)野郎の言葉の意味を飲み込めずに、私は思わず凍りついた。
 ……え。い、今のは一体どういう意味で……?

 

「私は、静岡出身なんですけど、仕事の関係で今鳥取に」
「へ、へぇぇ、ええぇぇ。な、なるほどぉ〜〜〜」

 

 にこやかにそう言ってのける静岡野郎に、同じく顔面には笑みを張りつけ、テーブルの下では爪が食い込む程拳を握り締めながら私は頷いた。
 こ、この男……! やりやがった! まんまと……、まんまと嵌められた!
 この静岡野郎は、山口県民と鳥取県民に無益な争いをさせて、自分はそれをほくそ笑みながら富士の頂から見下ろしていたのである。
 私が必死に練り上げた鳥取県への対策は、全く意味が無かったのだ。それを見越していたというのなら、私はこの男の手の上で無様に踊っていたに過ぎない……!
 格が、役者が違い過ぎる。家族がまんまと懐柔されたのも、今なら納得出来る。人にあるまじき、容赦なき手段をこの男は平然と選べるのだ。
 後にはただ、罪無き鳥取県民の亡骸を抱く戦意を失った憐れな兄が残るのみ。恐るべし、サイレントヒル! ここまでの鳥取県へのリサーチを、一瞬で灰燼に帰したのである。
 この時点で、山口県に静岡県と戦う術は何一つ残されていなかった。彼の地は、もともと山口県より遥かに人口が多い。そして何よりも、日本人の心象風景に根ざす、霊峰富士山を有している。
ガンプラ工場もあるし、実物大ガンダムまである。まさに選ばれた地の、観光エリート。悔しいが行ってみたい。鳥取県には行きたくないけど、静岡県は観光してみたい……。
 すっかり意気消沈した私をよそに、未来の新しい親族を迎えた晩餐は、賑やかに進んだ。
 静岡野郎の隣に座る妹は、実に幸せそうだ。その姿はあまりに眩しく、素直に喜んでやりたい反面、どうしようもない寂寥を私の胸に呼んだ。
 私は、隣に座る次女に、対面の静岡野郎には聞こえないように、ぼそりと言った。

 

「……頼むから、県内で結婚してくれ。頼むから」

 

 次女は「はぁ?」というような一瞥を私に投げた後、まだ尽きない談笑の輪に戻っていった。


                             ──────了

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